『ムード歌謡コーラスの時代』ロス・インディオスとの出会いと「コモエスタの部屋」(後編)

「別れても好きな人」のジャケットを意識した60周年記念曲「ボンジーヤ・東京」。






上段4枚 鎌倉タミーロスイン&Ninaライブ2019年11月

前回はロス・インディオスファンになったきっかけや出会いなどについて話した。今回はその後編ということで新たな出会いなどについて書かせていただく。
前編『ムード歌謡コーラスの時代』、ロス・インディオスとの出会い「コモエスタの部屋」はこちら

鎌倉のライブハウスで偶然知り合ったロスイン9代目女性ヴォーカルのNina。2015年のことだがちょうどその頃、ムード歌謡芸人のタブレット純と知り合っている。
今や売れっ子となって説明する必要もないかと思うが、元和田弘とマヒナスターズの最後のボーカル。知り合った当時はサブカル系のお笑い芸人として売れかけていた頃。浅草・東洋館に出演している時に親しくさせてもらっていた「日本全国酒飲み音頭」で有名なコミックバンド・バラクーダ―の岡本圭司さんに紹介をしていただいたのがきっかけである。

タブ純さんが鎌倉に遊びに来た時、彼が大好きそうな昭和レトロの元ナイトクラブで当時88歳の名物マスターが居た「タミー」という店に連れて行った。そこを大変気に入ってくれてライブをやろうということに。昭和40年代前半の雰囲気でムード歌謡などのイベントにはピッタリ。
このライブは定期的に開催するようになったが、2回目からNinaに出てもらうことにした。
鎌倉ダフネに出演している時に話を持ち掛け、最初はどんなことをするのかイメージが湧かなかったようだが快諾。
私の狙いは平成世代(?)にも関わらず伝説、伝統のムード歌謡コーラスに在籍しているという二人の意外性で、コラボさせたら新鮮で、ある種、画期的かと思ったからだ。

最初は二人の相性が気になり、Ninaを東洋館に連れて行って高座を見せてから紹介。それから「レストラン・アルプス」というタブ純さんご指定の六区にある大衆食堂に場所を移したがとてもいい感じでぎこちないお見合いのような雰囲気。そこでタブ純ライブでのNinaのゲスト出演が正式に決まり、レギュラーになっていただいた。
後に噂を聞いた業界の方がこの二人の組み合わせで営業もするようになり、途中からロスインも加わるようになった。

何度かNinaがゲストとして参加するかたちでライブを行うと彼女の方から「ロス・インディオス」のライブをタミーでやらせてくれないかという話があった。
私にとっては願ってもなく、なかなか切り出せないでいた話だったが、スナック営業もしているので問題ないという。事務所の社長も人柄のよい方で正直、このお値段でいいですかというギャラでショーが出来ることになった。

そして2019年12月、「ロス・インディオス&Ninaショー ゲスト・タブレット純」というかたちで開催をした。
想像以上の反響と口コミで1週間もたたないうちに完売。とても暖かい雰囲気のライブとなった。リハの時、棚橋さんからこういう場所でやるのは初めてだという意外な言葉が。Ninaはスナック営業をしていると話していたはずだが、どうもメンバー個々ではやっていてもグループとしては初めてということであった。恐縮した。

実は当日、タブ純さんが時間を勘違いしていて終演時間直前に鎌倉駅に到着、これから走って向かうという連絡が。こちらは本人が到着するまで何とか時間を繋ごうとあの手この手を打ったが遂にアンコールも終了。ちょうど楽屋に引き上げる時にご本人が登場して殆どコントのような状況。
タブ純は平身低頭だったが、リーダーの棚橋さんは怒らず、その後の二次会も何もないように酒を酌み交わしていた。

ロス・インディオスとタブ純のライブはその後もディナーショーなどで行われるようになった。棚橋さんもタミーでのショーが楽しかったらしく、是非来年ということに。そして個人的にも親しくさせてもらえるようになったが翌年からコロナに。開催が困難となり、リーダーの棚橋さんは2023年9月19日亡くなられた。

これは棚橋さんから直接、聞いた話だが、もし自分に何かあれば残されたメンバーでグループを継続してほしいということであった(当時のメンバー・棚橋静雄、三崎一平、東郷太郎そしてNina)。
結果的にはボーヤ時代から含めると50年近くロスインに在籍した東郷さんが棚橋さんに代わってリーダー兼ヴォーカルに。もう一人のヴォーカルだったが三崎一平さんはグループを離れた。そしてNinaも離れることになったが、その間の経緯は複雑なので省かせていただく。

今は日本歌手協会専属というかたちで新生ロス・インディオスとして活動している。
オーディションで新メンバーを募集。そのオーディションの開催は棚橋さんが亡くなる直前。棚橋さんがそれを望んでいたかどうかはわからないが、本格的なムード歌謡コーラスとしては最後の一組といっていいであろうロスインの名前は残った。

その間、ロスインの拠点であったホテルパシフィックの建物は壊され、思い出は消えていった。
このブログのタイトルである「コモエスタ」、随分と長々と書いたが、そんなロスイン愛から付けさせてもらった。
ロス・インディオス、結成63年になるが、デビューシングルとされているのは昭和42年。計算が合わないが「コモエスタ赤坂」や「知りすぎたのね」が発売される前の1963年頃には「ウナ・セラ・ディ東京」が発売されており、このあたりがデビュー曲ではないか。

棚橋さんから訊いたお話だが、当初はハワイアンもやっており、石原裕次郎のバックをやっていたとのこと。棚橋さんと裕次郎は同じ逗子育ち。さらに日活俳優だった故川地民夫さんとは逗子開成高校の同級という縁もあって繋がったのか。

1965年頃リリースの「それからはじまる物語」裕圭子とのデュエット。ムード歌謡としてはこのあたりが本格スタート時期か。左から
2番目にはロスイン音楽の原点ともいえるチコ本間さんの姿が


名曲「涙と雨にぬれて」。左から2番目には長くボーカルを務めた真谷さん、右から2番目のチコ本間さんは既にアルパを持たれている ジャケットでは裕圭子の名前の方が大きい

このデビュー〇〇周年と楽曲の時期が嚙み合わない点だが、1966年からポリドール所属となり、調べたところ最初に出たのが、前述した裕圭子という女性歌手との「それからはじまる物語」、その次にやはり裕圭子とのデュエットで「涙と雨にぬれて」をリリースしている。
裕圭子は石原プロ所属の歌手だったらしいが、このあたりからも棚橋さんと裕次郎の関係性を知ることが出来る。
涙と雨はマヒナスターズとの共作だが「知りすぎたのね」と同じく、なかにし礼の作詞作曲。
個人的にはもっともお気に入りの楽曲だがあまりステージでは唄うことはなかった。

実はタブ純さんがマヒナで覚えたこともあって涙と雨が大好き。Ninaは一度も唄ったこともなく知らなかった。タミーとのタブ純さんとのライブで教えてもらいそれから唄うようになったというエピソードもある。

なお、3/21-3-31まで長島温泉「湯あみの島」でロス・インディオス&Ninaショーが開催される。Ninaがロスインのステージに出るのは4年ぶりなので貴重な機会になりそうである。
前回2018年の長島温泉「湯あみの島」でのショー

このコラムの執筆者

マーケティングコンサルタント・コモエスタの部屋ではプライベートで興味のある、昭和のエンタメ系・カルチャー・トラベル等、幅広いジャンルのコラムを書いています。

目次